時期・時代ごとのビニ本・違い
★ビニ本の歴史は70年~86年の16年間と言われている。
当然ながら時期・時代ごとに本の内容が違う。
これはその時期・時代ごとに性表現の基準が違うから。
そして、その基準は時代が進むごとに進化、過激化して、
ビニ本の露出度はエスカレートの一途をたどった。
一時期・あまりのその大ブレークゆえに当局の締め付けが強化し、
停滞した時期もあったが、それもその後の最大ブレークへの一里塚で
しかなく、相対的には陰毛の一本も見せられない初期、草創期から
最終的には裏本に勝るとも劣らない完全丸見え本に至る嬉しい過程を
辿るのだった。
簡単にビニ本の年代ごとの特徴から時期を分けてみると
・70年~73年 → ビニ本初期・草創期
・73年~78年 → ビニ本静かなる浸透期
・79年 → ビニ本夜明け前期
・80年 → ビニ本第1次全盛・大ブレーク期
・81年夏以前 → ビニ本暗黒・低迷期
・81年夏~83年→ ビニ本復活期
・83年~84年 → ビニ本第2次全盛・豪華絢爛期
・85年~86年 →ビニ本終焉期
管理人はかなり大まかだが、このように時代分けしている。
★各時期ごとの特徴
・70年~73年 → ビニ本初期・草創期
日本で初のビニ本と言われる松尾書房の「ワイルドプライベート」が刊行。
ビニ本の歴史がこの一冊から始まった。
この本は静かだが確実にファンをつかみ、その後定期刊行、類似の本も多数登場し、
松尾に続けと他の出版元も次々に登場し始める。
この頃の本の特徴はまだまだモデルもケバい水商売風の女性のいかにも的なエロ本が
世の中の主流だった中、若くて普通の女性が登場し、下着を見せてくれる。
そういうものだったが、それが大いに受けていたのだった。
そしてビニ本初期・草創期の大ヒット作といえばやはり松尾書房の名作、
「下着と少女」シリーズを上げないわけにはいかない。
先述のように毎号モデルの質が格段に向上し、本当に「若くて可愛くて普通の女の子」がどんどん登場した。
それが最大のセールスポイントだった。
そしてそれらのモデルがこれも毎号、露出を強めて、いわゆるエロ度もどんどん高まっていった。
それが売れないわけがない。
「下着と少女」シリーズは毎号売れに売れ、大ヒットシリーズとなり、
松尾書房は類似の下着系の本のラインナップをさらに充実させていった。
「チェックイン」「サークル」「ティーンズ」などがそれである。
これらも大ヒットしていた。
そして当然それに右へ倣えと他の版元もそれに類似の本を出版しまくった。
結果、この頃のビニ本屋は松尾の「下着と少女」と見まごうばかりの類似本で溢れかえったのだった。
管理人は全盛期頃、古本屋で松尾の本を買い漁って遅まきながらその当時の雰囲気を感じ取っていたが、
松尾の本と思って買ったら他社の本だった・・・なんてことはよくあった。
「下着と少女」と思って買ったら「下着の少女」だった・・・とか
「松尾書房」だと思ったら「森尾書房」だったとか・・・(笑)
管理人も良く引っかかったものだった(笑)。
一見するだけではわからないほど、本の作り、装丁などが酷似していたのだった。
中身は・・・やはり本家本元ほどではなかった。エロさも、露出度も(苦笑い)。
なので結構当時の松尾の本には「類似本にご注意ください」「本物は松尾だけ」などの注意喚起のクレジットが
のっていたりしたものである。
そして更に面白いのは「松尾書房をしのぐ少女と下着シリーズ」などのクレジットがあり、
両者ともに大いにお互いを意識していたのが窺えて、当時の状況が見えて面白かったりするのだ。
73年~78年 → ビニ本静かなる浸透期
その後も神田の芳賀書店をメッカとして着実にファンと売り上げを伸ばしていったビニ本は
版元もどんどん増え、様々なジャンル、マニアックな本も登場して、いつしか
「知る人ぞ知るマイナーだが過激なエロ本」の枠では収まらない膨張をし続けていた。
この頃の本でも松尾書房の「下着と少女」は別格。引き続き安定した大人気を誇っていた。
そして特筆すべきはこの頃の本にはもう、既に純白のパンティーから陰毛の黒い陰りが見れるようになり、
これが衝撃でこの頃のビニ本はもう、静かだが、着実に途に浸透しまくっていたのだった。
そして他の版元もこれに追随し、どんどん見せ比べ露出度争いの様相を呈し始め、気が付けば、
ビニ本はいつの間にか当時の規制の一線を越えたモンスターになっていたのだった。
・79年 → ビニ本夜明け前期
この頃にはもう、ビニ本はバカ売れしていて、その要因は何といってもその「陰毛が見えるエロ本」
の衝撃と歓喜だった。
当時の性表現の基準を完全に無視し、又何故か当局もこれをおおぴらには締め付けない。
締め付けられないから内容はますます過激に、過剰になってゆく。
もう歯止めが止まらない。「もしかしたら陰毛だけでなくてオ○ンコまで見えるかも・・・」
そんな期待がいつ実現してもおかしくない、いや、すでに起こり始めていた・・・・
そんなもうすぐにも来るだろう一大ブレークをヒシヒシと実感させてくれた時期だった。
・80年 → ビニ本第1次全盛・大ブレーク期
遂にビニ本の一大ブレークが巻き起こった年。テレビや週刊誌では毎週のように特集され、大手メディアが
こぞってその存在を紹介して、80年という新時代を正に新ポルノ元年と謳い囃していた。
当時まだ地方の高校生だった管理人もその報道を見て週末には神田の芳賀書店に足繁く通ったものである(笑)
この頃の本はともかく、その爆発的なセールスからか各社がこぞって名作を刊行して、そのどれもが内容もさることながら
その表紙、裏表紙が極めて秀逸な点。
ビニ本は中身が見えないからこの表紙、裏表紙で勝負が決まる。なので当然なのだがそれにしてもその秀逸さは他の時期の
どの本もかなわない。ものによっては美しく、華美で、芸術的ですらあったりする。
そして当然その露出度はどれも発禁処分されても文句が言えないようなものばかり。
中味も遂にオ○ンコまで鮮明に見せてくれるものまで多数登場していた。
そしてこの時期には有名人気ビニ本モデルも多数登場し、彼女らの本は本当にバカ売れしていた。
この年の春から秋にかけて、正に空前の一大ビニ本ブーム、大ブレイクが巻き起こったのだ。
そしてその大ブームにさすがの当局も遂におおぴらに動き出し、同年11月に大摘発が勃発する。
これが有名な芳賀書店一大摘発事件である。
しかしこの大摘発のニュースはさらにビニ本の勇名をとどろかせ、その売り上げを
余計向上させるという皮肉な結果となったのだった。
その時の大摘発の原因にもなったのがゴー出版の「誘惑」、恵友書房の「慢熟」カトレア出版の「ラブフォトモモエ」
「われめ」などの素晴らしすぎる、超過激・発禁本群である。
・81年夏以前 → ビニ本暗黒・低迷期
昨年11月の大摘発後、3月にも2度目の大摘発が今度は新宿歌舞伎町の「歌舞伎町書店」で勃発し、ビニ本業界は当時戦々恐々。
大手版元を中心に「自粛団体」まで結成されるありさまで、この当時のビニ本は下手すると気の利いた書店売りの一般エロ本より
露出がおさえられたつまらないクソ本ばかりになっていた。
正に長いビニ本の歴史の中の黒歴史、暗黒の低迷期だった。
しかし、そんな中でだからこそ、摘発覚悟で超過激な本を刊行する版元が現れる。
いわゆる海賊本と呼ばれたビニ本というより、裏本に近いヤバい本だった。
(時系列的には裏本の登場はもう少し後になるのだが・・)
これは当然ながらバカ売れした。周囲がクソ本ばかりだったから当然だが。
低迷期に風穴を開けるようなその海賊本の出現はその後の復活期の予兆ともいえた。
当時の本の特徴はクソ本の方は陰毛は完全に黒い塊で、一本、一本の形状などは
判別できず、一見したらただの不粋な黒スミにしか見えない(>_<)。
しかも超ソフトフォーカスで一言で言って迫力不足。
とてもズリネタとしても、エロ本コレクションとしても使える代物ではなかった。
そんな背景の中、登場した海賊本はそれらのフラストレーションを一気に解放してくれる
素晴らしい内容だった。
メインとしていたから。
行きつけのビニ本屋のマスターが「これは本当にヤバいよ」と困惑しながら紹介してくれた
岡まゆみの「淫らにさせて/琴林出版」のノーカットページには度肝を抜かれのをよく覚えている。
もちろん、すぐ発禁になり、お店も厳重注意されていた。
しかし、それはわれらビニ本マニアたちの予想通りのイタチごっこの様そうとなり、
約半年後のビニ本復活への伏線になっていた。
・81年夏~82年 → ビニ本復活期
海賊本は当局とのイタチごっこを繰り返しながら定期的に新刊が刊行され、もう、我らは
一般のビニ本には見向きもせず、その海賊本のみを購入していた。
そんな状況で向かえた81年、夏ビニ本業界が再び活気を帯びる。
突然、正に急激にビニ本は再びその内容を過激に過剰なものに変貌させたのだった。
それはまるですべての新刊が海賊本になったような様相だった。
これには自分も、周囲も驚いた?何で急に?と。
件の行きつけのマスター曰く
「どうやら当局の締め付け担当部隊が解散したようだから」というのが原因のようだが、
真意はわからない。
「海賊本にその売り上げを完全に奪われた老舗版元が遂に我慢の限界で本気の勝負に出た」
という話も聞き、それもあるだろうとも思った。
原因は何でもともかくビニ本がより過激になって復活してくれたのだから我らは大歓喜!
そしてその流れは嬉しくもどんどんエスカレートしてくれたのだった。
そしてこの時期、遂に日本で初と言われた裏本「ぼたん」「聖少女」が登場し、
以降、続々と裏本が刊行され、さらにはこれも新しい風俗「ノーパン喫茶」
が登場し、進化過激化したビニ本、裏本と共にマスコミの格好の題材となっていた。
完全に日本の風俗は新たなる時代に到達したのを実感せずにはいられなかった。
そのような時代背景もあり、この頃のビニ本の内容はスケパンからもうオ○ンコも見えてるのが辺り前。
むしろその鮮明さでチョイスしていた・・・というくらい、素晴らしいものになっていた。
・83年~84年 → ビニ本第2次全盛・豪華絢爛期
復活期から続くビニ本の過激さはエスカレートの一途を辿り、併せて裏本が表のビニ本を追い抜く勢いを
見せるに至り、遂に登場したのがビニ本の最終形態・ベール丸見え本の登場である。
これは文字通り股間を覆う遮蔽物は、それまでのスケパン、パンストから、
薄い薄い、超激薄のベール、又は超拡大された網の目のパンストにとって代わったもので
当然オ○ンコは丸見え。ポーズもより過激になりみずから指でクパァポーズ。
お尻を思いっきり突き出して肛門も丸見えのアナルショット。
正直これを初見したとき、「良くこれが普通に売られてるな・・」と歓喜、驚愕したものだった。
まぁ先述の裏本の周知、脅威がその要因だったのは間違いない。
そしてこの時期にはモデル達もニューフェイスが続々登場し、新たなるビニ本アイドル、ビニ本スターが
綺羅星のごとく生まれていて、当然その娘たちの本は超バカ売れしたのだった。
可愛いニューフェイスの登場と裏本に勝るとも劣らない丸見え本の登場でビニ本は第2期全盛期にして
豪華絢爛期を迎えてのだった。
・85年~86年 → ビニ本終焉期
我が世の春を謳歌していたビニ本もその座をアダルトビデオに譲ったのが85年頃。
世はこのニューエロメディアに完全に移行し始め、それに伴い、新刊本の発刊も、
ビニ本業者そのものも激減していった。その大半はAV制作会社に移行していったのだった。
そして86年あのビニ本の聖地にして創出元、神保町の芳賀書店が閉店し、それは約16年の
ビニ本の歴史の終焉でもあったのだ。
この頃の本はもう、旧刊、既存本の焼き直し、裏本の薄消し本ばかりでほとんど純正の新刊は
なかった。管理人的にはこの時期の本はビニ本とは認めていない。
その安易な意識がどうしても好きになれず、又それが本のクオリティーにも現れていて。
あの全盛期の作り手の熱いパッション溢れる名本たちを見てきた者としては・・・である。
以上が各時期ごとのビニ本の内容についてである。
簡潔にと思ったがやはり思い入れがどうしても出てしまって、エッセイの様になってしまいました(>_<)。
でもこの辺りの知識があるといざビニ本を購入する際に,大体の内容の予想に役立つでしょう。
それではまた。
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管理人様
奥深い知識とコメントに感服しています。ほぼ同年代を生きている者として同感以外の何物でもありません。これからもブログの更新を楽しみにしています。
newner様
コメントありがとうございます。
旧ブログから来ていただきましてありがとうございます。
これからも面白い記事を上げてゆきますので、
またコメントもよろしくお願いいたします(^^)/!
管理人
管理人さん
ブログの更新ありがとうございます。相変わらず豊富な知識に驚かされています。ところで裏本と紹介されている「聖少女」ですが、モデルが岡田まゆみではないでしょうか?顔、体つきからそう思います。よろしければもう少し深掘りの特集をお願いします。
これからも楽しみにしています。